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趣味の範囲でトライアスロンをしながら、普通に仕事、子育て、遊びの不定期ブログ
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祝10年・・・・

ガキの頃から母親に「お前は何をやっても続かない」と言われながら育った、実際、自分もそうだと思っていた。
小学生の頃始めたスポ小や空手は1年続けばいい方だった。
中学で適当に入った軟式庭球部で、だらだらしながら続けていたら 最後の総体で地区優勝してしまった。
それに気をよくして、その後高校でも3年間続けた。
お遊びの延長だった中学の部活とは違い、高校の男子庭球部は 野球部より厳しいと言われるほどの恐ろしい部活だった、実際 今考えても野球部より厳しかったと思うw
自分と一緒に入部した連中も、皆ひ弱で クラスの体力自慢 な奴は一人もいなかったが、そんな連中も厳しい練習を課してくる顧問に陰で文句を言いながらも耐え、自分たちの代では校内の部活対抗の駅伝大会で、野球部や陸上部らを押しのけ優勝するような部になっていた。
まぁ軟式テニスに正直それほど体力が必要だったかは未だに疑問ではあるが、今となっては いい思い出である。
そして気が付けば6年間続けていた、母親は「お前にしては長続きしたもんだ」と言っていた、自分も 長続きしたもんだ と思った。
それから趣味らしい趣味はもたず月日は流れた。
27歳の9月、来月に結婚式を控えたある日、ブヨブヨになった自分の身体に愛想をつかし、以前顔見知りになっていた海老名さんが経営するスポーツジムに入会する。
そこで日々少しづつウエイトトレーニングで自分の身体が成長していくことに楽しくなり、体を鍛えることが趣味となっていった。
そんなある日、その海老名さんに「文明も、トライアスロン出ようよ!」 と地元で開催されるトライアスロン大会に誘われる。
その時は4月で、7月に開催される大会にとても間に合うと思えなかったし、そもそもトライアスロンなんて海老名さんの様な特別な人間のスポーツだろ?wと思っていた。
「いやいや 無理だって何十年も泳いだことないし、道具だってないよw」よ断ったんだが、「知り合いに自転車使ってないやつがあるから、それ借りておいてやるよ」と強引に自転車を預けられた。
仕方ないんで「じゃあ リレーで出るよ、リレーで!」と何とか海老名さんを説得し、同じく私の誘いでジムに通うようになっていた一樹に白羽の矢を立て「トライアスロンのリレーに出るからお前泳げ!」とこれも半ば強引に引き受けさせた。
ランは一樹の友人で走るのが趣味な奴がいるとのことでそいつに頼むことにした。
で、無理やり預けられてリレーの担当になってしまった自転車 まぁ走ったり泳いだりするよりは楽だろ、つーか なんだか素人目にもボロボロな自転車、確かにトライアスロンで使う自転車ってこんな感じだったとは思うけど、いざ目の前にするとタイヤは細いは、ギアはたくさんついてるは・・・あ パンクしてんじゃんこれ・・・?
乗るにはどうやら修理が必要ですかそうですか・・・・地元の自転車屋に運びこみ「これ乗れるようにしてほしいんだけど・・・」と頼む。
初めて来た客が乗れるようにしてくれとボロボロのロードバイクを持ってきた時の私の顔を見る店主の見留さんの「はぁ・・?」という顔を未だに覚えているwあれから12年見留サイクルにはお世話になり続けている。
そこでバイクに必要なもの、乗り方を教えてもらい、何日か後 「普通の自転車よりギアが何段階も変えられるし、自分もジムで最近鍛えてるから何とかなるだろw」といざトライアスロンコースに一人向かう。
その気楽な考えも束の間、その後幾度となく死闘を繰り広げる事となる 豚 坂 にトライアスロンコースの洗礼を浴びせられる。
その後も登りが続き 横岡、中島台を登り切った時にはすでに「俺 なんか達成した!!!!」と もう頭の中が満足感一杯になり、その夜 飲み仲間たちを集め「俺はトライアスロンのコースを自転車で一度も足を着かないでまわってきた!」と大いに自慢したw
その自慢話を聞かされた飲み仲間の中に 後にトライアスロンチーム T E A M 漢 塾 を一緒に立ち上げ塾長となる男もまじっていたが、この時 本人は微塵もそんな事になるとは思ってもなかったろうw
その年の大会は天気が悪く、スイムが中止となり一樹が練習してきたスイムではなく ミ ニ ラ ン を近所を散歩するような格好で走らされることとなるwその姿を反省会で散々私に馬鹿にされ、奮起した彼は次の年から一人でトライアスロンに出ることを決意したというwちなみに私のバイク順位は18.9チーム中10位くらいだった。
その後 一樹はハマっていたウエイトトレーニングをやめ、トレーニングはトライアスロン一色・・・・私はといえば「バイクだけであんなにキツイのに、その前に泳いで その後に10kmも走れるかっつうのw」とトライアスロンにはハマらず、また ベンチプレス100kgを挙げる 目標に向かってウエイトトレーニングに励んだ。
次の年、また4月頃に「今年もリレーででるかなぁ・・」とメンバーを募集する、手応え的には 後に塾長となる 実 が先に手を挙げるかと思っていたが、意外にもラン担当で一番最初に手を挙げたのは一番やりそうにない 崇 だった そしてこいつはヘビースモーカーだw
じつはこの時、実もランで出てみようかと車でランコースを確認していたらしいが、そんなことしてる間に崇に先を越された次第w ダメもとで実に「スイムで出ないか?」と誘ったが、内心「こいつは俺より泳げない、つーかガキの頃海で溺れて海嫌いだったはず・・」と諦めていたが、奴の答えは意外にもOKだった。
そしてこの年の芭蕉レースで 一樹VSリレーメンバーで争い、最後の最後でゴール前一樹が崇を振り切り 反省会で罰ゲーム 一樹に3人土下座でしながら頭を踏まれる事となったw
その後、実も「来年は一人で出る!」と宣言し、2人を誘った手前引っ込みがつかなくなった私も最後に「じゃあ 俺も一人で出る」と仕方なく決意した。
それから3人で「今日は7キロ走った」とか「やっと150m泳いだ」とかメールでやり取りするようになり、一樹が「どうせなら3人でトライアスロンチームを作ろう!」と言い出し TEAM漢塾 が結成されたwそれが9年前の3月。
あれから仲間も増え、芭蕉レースのゴール前では「地元のTEAM漢塾の○○選手!」と放送されるようにもなった、たまに「それって カンジュクって読むの?」と言われることもちょいちょいあるが・・・w
つーことで これからもトライアスロンと言う趣味を仲間たちと楽しく続けていきたい。
チームも今年10年目、私も芭蕉レース10年連続完走を果たし何となく振り返ってみました。

・・・・今日は休日当番の仕事で、あまりにも暇で時間を持て余したから書いてみたというのはここだけの秘密だw
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プロフィール

HN:
局長
年齢:
49
性別:
男性
誕生日:
1974/09/30
職業:
会社員
趣味:
トライアスロン
自己紹介:
趣味の範囲でトライアスロンしながら普通に子育て 天秤座の凡人 酔拳初段
その他