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趣味の範囲でトライアスロンをしながら、普通に仕事、子育て、遊びの不定期ブログ
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海と日本PROJECT IN 秋田

以前 AKTのげつきん420と言う番組内の 海と日本PROJECT IN 秋田 というコーナに出演することになり、撮影をしてました。
放送日は7/15金曜日・・・今日です(笑)

フリーアナウンサーの相場詩織さんと道の駅から芭蕉レースの大会会場までサイクリングするシーン

会場到着からのインタビュー

慣れない事なんで緊張しまくりでした(笑)
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第31回おしんレース戦記

3年ぶりに更新DEATH
長文ですのご興味のない方はスルーで(笑)

見上げると曇りの予報だったはずだった空はこれでもかと晴れあがっていた。
スイムの第一ウエーブ10~30歳代の選手がスタートして二分後の自分の第二ウェーブのスタートを海に浮かびながら待っている。
去年自分が出場した酒田、象潟両大会がスイム中止だった為、2年ぶりのスイム競技になる。
しかし2年ぶりにもかかわらず全く緊張せず落ち着いている自分に少し驚いた、いつもなら苦手なスイムは不安でドキドキしているはずなんだが・・・
これは今年トライアスロン歴13年目になった貫禄の落ち着きなのか、それとも練習していないせいでの開き直りの落ち着きなのか? 間違いなく後者だろう(笑)
周りを見渡すと40~50歳のベテラントライアスリートたちが海面から精悍な顔を出してスタートを今か今かと待っている。
もう一度ボーッと空を見上げた瞬間にスタートの合図が鳴った。
一斉に泳ぎ始める選手たちの中で取りあえず先頭集団をやり過ごして後方からスタート。
ゆっくり泳ぎ出してなるべく選手のいないコース選択するもすぐにバトル圏内に入る(笑)
自分と同じぐらいの泳力の選手たちとお互い悪気の無い蹴ったり蹴られたりを繰り返えす、叩かれようが蹴られようが周りも一生懸命泳いでいるだけなのだから、やり返しそうとも思わないし頭にも来ない(笑)
ただ必死に750mのコースを無事に2周するまで泳ぐだけ(;´Д`)
やっと自分のペースをつかみ始めたころには2周目の最後のストレートまで来ていた。
足元がフラフラしながらスイムアップ35分・・・思っていた以上に遅かったΣ(°д°lll)ガーン

足についた砂を払いながらバイクの準備、ウエットスーツが上手く脱げずトランジッションのタイムも今年13年目の貫禄など微塵も見えなかった。
気を取り直してバイクスタート、今までもがこうがあがこうが前に進まなかったスイムと違いバイクの疾走感は清々しい位気持ちいい。
こっから遅れを挽回するのが自分のパターン、スイムアップ時 277人中199位遅れるだけ遅れたのでここからは周りを一方的に抜かす時間の始まり始まり。
ゴボウ抜きしながら誰にも抜かれることなく2周目の折り返し過ぎ、後ろから「右通りまーす」との掛け声、これは後ろの選手が前の選手を抜かす時に危険回避のための掛け声。
慌てて左により右側を空けると後ろからホイール轟音と共に秋田県NO1選手ヘラクレス岩渕こと岩渕努選手が笑顔でこちらに「うッス!」言いながら颯爽とそれまで気分よく追い上げていたつもりの私を一瞬にして周回遅れにしてくれる(笑)
彼の背中に「ガンバっ!」と激励の一言を掛ける、この状態では頑張らなければならないのは自分なのだが、彼には秋田県選手の期待がかかる。
さて、あっという間に見えなくなったヘラクレスの背中を見送り、それでも周りの選手を抜かしながらバイク終了。
1時間10分51秒(45位) この時点で105人抜かして全体の94位。

ここからはいつもの我慢の時間 ラン10kmの始まり。
今度は疾走感が一気になくなり路面の照り返しの暑さを感じながら給水所の水を頭からかぶりなが距離と時間とペースとのにらめっこ。
この時点での気温は33度 だまって立っていても汗が噴き出す気温まで上昇している。
折り返しですれ違うチームメイトの漢塾杯を争う健太との差は開く一方・・・
左足の人差し指に激痛、どうやら小石が刺さっているようなので、止まってシューズを脱いで小石を払ってから走り出すが痛みが消えない・・・?
もう一度止まってシューズを脱ぐと指の皮がめくれ上がって真っ赤な肉が露出している・・・なるほど痛いわけだ(笑)

どうしようもないので、見なかったことにして走り出す 後は全力で我慢の時間。
最終周、すれ違う選手たちの表情も大分余裕のないものに変わっている。
ラスト2kmから余力を使い果たしてやろうとスパートをかけるが、GPS付き腕時計に表示されているペースは5:10/kmのノロノロペース。
2時間38分33秒でフィニッシュ、13年目のシーズンも厳しいレースの洗礼を受けました(笑)
応援しに来てくれた皆さまありがとうございました<m(__)m>
祝10年・・・・

ガキの頃から母親に「お前は何をやっても続かない」と言われながら育った、実際、自分もそうだと思っていた。
小学生の頃始めたスポ小や空手は1年続けばいい方だった。
中学で適当に入った軟式庭球部で、だらだらしながら続けていたら 最後の総体で地区優勝してしまった。
それに気をよくして、その後高校でも3年間続けた。
お遊びの延長だった中学の部活とは違い、高校の男子庭球部は 野球部より厳しいと言われるほどの恐ろしい部活だった、実際 今考えても野球部より厳しかったと思うw
自分と一緒に入部した連中も、皆ひ弱で クラスの体力自慢 な奴は一人もいなかったが、そんな連中も厳しい練習を課してくる顧問に陰で文句を言いながらも耐え、自分たちの代では校内の部活対抗の駅伝大会で、野球部や陸上部らを押しのけ優勝するような部になっていた。
まぁ軟式テニスに正直それほど体力が必要だったかは未だに疑問ではあるが、今となっては いい思い出である。
そして気が付けば6年間続けていた、母親は「お前にしては長続きしたもんだ」と言っていた、自分も 長続きしたもんだ と思った。
それから趣味らしい趣味はもたず月日は流れた。
27歳の9月、来月に結婚式を控えたある日、ブヨブヨになった自分の身体に愛想をつかし、以前顔見知りになっていた海老名さんが経営するスポーツジムに入会する。
そこで日々少しづつウエイトトレーニングで自分の身体が成長していくことに楽しくなり、体を鍛えることが趣味となっていった。
そんなある日、その海老名さんに「文明も、トライアスロン出ようよ!」 と地元で開催されるトライアスロン大会に誘われる。
その時は4月で、7月に開催される大会にとても間に合うと思えなかったし、そもそもトライアスロンなんて海老名さんの様な特別な人間のスポーツだろ?wと思っていた。
「いやいや 無理だって何十年も泳いだことないし、道具だってないよw」よ断ったんだが、「知り合いに自転車使ってないやつがあるから、それ借りておいてやるよ」と強引に自転車を預けられた。
仕方ないんで「じゃあ リレーで出るよ、リレーで!」と何とか海老名さんを説得し、同じく私の誘いでジムに通うようになっていた一樹に白羽の矢を立て「トライアスロンのリレーに出るからお前泳げ!」とこれも半ば強引に引き受けさせた。
ランは一樹の友人で走るのが趣味な奴がいるとのことでそいつに頼むことにした。
で、無理やり預けられてリレーの担当になってしまった自転車 まぁ走ったり泳いだりするよりは楽だろ、つーか なんだか素人目にもボロボロな自転車、確かにトライアスロンで使う自転車ってこんな感じだったとは思うけど、いざ目の前にするとタイヤは細いは、ギアはたくさんついてるは・・・あ パンクしてんじゃんこれ・・・?
乗るにはどうやら修理が必要ですかそうですか・・・・地元の自転車屋に運びこみ「これ乗れるようにしてほしいんだけど・・・」と頼む。
初めて来た客が乗れるようにしてくれとボロボロのロードバイクを持ってきた時の私の顔を見る店主の見留さんの「はぁ・・?」という顔を未だに覚えているwあれから12年見留サイクルにはお世話になり続けている。
そこでバイクに必要なもの、乗り方を教えてもらい、何日か後 「普通の自転車よりギアが何段階も変えられるし、自分もジムで最近鍛えてるから何とかなるだろw」といざトライアスロンコースに一人向かう。
その気楽な考えも束の間、その後幾度となく死闘を繰り広げる事となる 豚 坂 にトライアスロンコースの洗礼を浴びせられる。
その後も登りが続き 横岡、中島台を登り切った時にはすでに「俺 なんか達成した!!!!」と もう頭の中が満足感一杯になり、その夜 飲み仲間たちを集め「俺はトライアスロンのコースを自転車で一度も足を着かないでまわってきた!」と大いに自慢したw
その自慢話を聞かされた飲み仲間の中に 後にトライアスロンチーム T E A M 漢 塾 を一緒に立ち上げ塾長となる男もまじっていたが、この時 本人は微塵もそんな事になるとは思ってもなかったろうw
その年の大会は天気が悪く、スイムが中止となり一樹が練習してきたスイムではなく ミ ニ ラ ン を近所を散歩するような格好で走らされることとなるwその姿を反省会で散々私に馬鹿にされ、奮起した彼は次の年から一人でトライアスロンに出ることを決意したというwちなみに私のバイク順位は18.9チーム中10位くらいだった。
その後 一樹はハマっていたウエイトトレーニングをやめ、トレーニングはトライアスロン一色・・・・私はといえば「バイクだけであんなにキツイのに、その前に泳いで その後に10kmも走れるかっつうのw」とトライアスロンにはハマらず、また ベンチプレス100kgを挙げる 目標に向かってウエイトトレーニングに励んだ。
次の年、また4月頃に「今年もリレーででるかなぁ・・」とメンバーを募集する、手応え的には 後に塾長となる 実 が先に手を挙げるかと思っていたが、意外にもラン担当で一番最初に手を挙げたのは一番やりそうにない 崇 だった そしてこいつはヘビースモーカーだw
じつはこの時、実もランで出てみようかと車でランコースを確認していたらしいが、そんなことしてる間に崇に先を越された次第w ダメもとで実に「スイムで出ないか?」と誘ったが、内心「こいつは俺より泳げない、つーかガキの頃海で溺れて海嫌いだったはず・・」と諦めていたが、奴の答えは意外にもOKだった。
そしてこの年の芭蕉レースで 一樹VSリレーメンバーで争い、最後の最後でゴール前一樹が崇を振り切り 反省会で罰ゲーム 一樹に3人土下座でしながら頭を踏まれる事となったw
その後、実も「来年は一人で出る!」と宣言し、2人を誘った手前引っ込みがつかなくなった私も最後に「じゃあ 俺も一人で出る」と仕方なく決意した。
それから3人で「今日は7キロ走った」とか「やっと150m泳いだ」とかメールでやり取りするようになり、一樹が「どうせなら3人でトライアスロンチームを作ろう!」と言い出し TEAM漢塾 が結成されたwそれが9年前の3月。
あれから仲間も増え、芭蕉レースのゴール前では「地元のTEAM漢塾の○○選手!」と放送されるようにもなった、たまに「それって カンジュクって読むの?」と言われることもちょいちょいあるが・・・w
つーことで これからもトライアスロンと言う趣味を仲間たちと楽しく続けていきたい。
チームも今年10年目、私も芭蕉レース10年連続完走を果たし何となく振り返ってみました。

・・・・今日は休日当番の仕事で、あまりにも暇で時間を持て余したから書いてみたというのはここだけの秘密だw
3月ですね、久しぶりの更新です。

お久しぶりです、もう3月ですかそうですか。
まだまだ私の住む秋田県にかほ市では3月と言えど雪が降っております。
トレーニングの方はまずまずやれていて、すべてバイクで固定ローラーですが 1月は31日中 23日約703km、2月は28日中25日645kmやりました。
負荷はあまり高くないですが、自分のトレーニングとしてはかなりやったほうです。
そして今年長女がトライアスロンにチャレンジしたいとロードバイクを買って貰い、時々一緒に乗るようになりました。

まぁ、どこまで続くか分かりませんが、本人の意思を尊重しながら見守っていこうと思います。
で、昨日の夜 いつものようにローラー1時間後、子供達をお風呂に入れ、晩酌開始 ここまではいつものこと。
晩酌の最後の一杯を飲み終わり、2階の自分の部屋から空になったグラスを持って階段を下りようとした所、4歳の息子が「僕も下に行く」と言うので、「もう9時半だから寝なさい、下にはもうお化けが出るぞw」と おどかして、ワザと階段の電灯をつけずに階段を下りていった。
で、ここが最後の一段と思い込み 一階へ降りたつもりで足を出した場所には床がなく、あえなく左足から転げ落ちた・・・そこは下から2段目でした・・・。
結局、降りてきた息子から「パパどうしたの?うるさいよ?お化けいたの?」と言われる始末・・・・
先ほど病院でレントゲン写真を見ましたが、ハイ ポッキリ折れておりました。左足第5中足骨基部骨折・・・
しばらくは歩くのもままなりませんw
ま 6月の酒田トライアスロンまでに間に合わせる方向で調整しますよ・・・ええ
山辺マラソン参戦記

前日の土曜日に家族で山形入り、初めて山辺町を訪れる。
秋田から向かう道中は雨で月山を越えた寒河江市あたりからは風が少しあるものの晴れ間が見える天気。
山辺町役場近くの運動公園にナビを利用し到着、すると溢れんばかりの人人人・・・こ こんなにマラソンの受付をする人がいるのかと圧倒されるw
この日 山辺フェスティバルという催しが開催されており 賑わう会場で迷いながら、やっと前日受付を済ませる。


受付で「あ っ 秋田からのI原さん!」と受付の女性に声を掛けられる「K見(奥さん)です」と今回山辺マラソンに参加する事になったのは 大会役員をされている この方の旦那さんの強い要請があったからですw
夫婦で大会の運営に協力してるんだなぁ・・・と感心する。 しかしここではK見さんに会うことはできなかった、忙しんだろうなぁ・・・ご苦労様であります。
さて、家族が待つ車に戻り 子供達お待ちかねの上山の遊園地リナワールドへ。

私自身15年ぶりくらいかしら? 子供達は大喜び!  ただ4歳の長男はおねえちゃん達が乗るジェットコースター等には身長や年齢が足りずに乗れないもんだから「僕も乗りたい!!」と大騒ぎw
仕方ないのでゲームセンターにあるような乗り物で誤魔化すww

そして今回の宿泊先はホテル 古 窯 。 うーん 到着した時に玄関の外に出ている仲居さん5.6人に迎えられた時は正直ビビッた・・・ 小心者 乙w

「日本の宿古窯」。その館名は館内敷地に出土したおびただしい数の須恵器(奈良時代)とその窯跡にちなんで名づけられた。

 発見は1955年、増築のため敷地を切り崩したところ、土器の破片が多数出土したことによる。専門家の鑑定でこの窯跡が1300年前、奈良時代のものと判り、山形県の指定文化財に登録された。これを契機に館名を「古窯」に改名し、窯跡を後世に伝え継ぐため、館内に「らくやき窯」を設けた。

 以来、宿を訪ねた文人、墨客、著名人などに、絵皿へ記念の絵付けをしてもらい、その数はすでに3300枚以上という。おかみネットより


まあ凄い数の有名人、著名人の絵皿が飾られておりました・・・・で 写真は松岡修造さんのもの。ええ ファンなんですww
料理、サービス共に一流でございました。
うーん贅沢(* ̄∇ ̄*)ヘヘ

さて、今回のメインはあくまで 娘達と参加する 山 辺 マ ラ ソ ン 。
私は先に10時スタートの10kmにY樹と参加し、11時10分からの親子2kmに次女と参加、長女も同スタートの小学生2km。
会場に到着し、5kmの参加者でごったがえしているスタート付近でスタッフのビブを着て走り回っている K 見 さ ん 発見!「おお!よく来てくれたねぇ」と握手して一言二言会話後 また走り回っていました、今まで忙しかったんだろうなぁ・・・ご苦労様であります。

さて、スタートまで肌寒く微妙な天気だったが、スタートしてしまえば気にならなかった。
先日から痛い左胸は痛み止めで殆ど気にならない、ただ 今回はガンガン行くつもりはなかったので少しペースを緩める。
コースはなだらかな登りが1km続き、それから平地1.5kmで折り返し、最後に1kmの緩やかな下りのコースを2周。
街路樹がいい感じに黄葉して綺麗だった・・・第1回大会にも関わらず 沿道で応援してくれる人の数が多かった。
ランナーの中には5レンジャーの格好や、ピカチュウを頭に被った人、バットマン、スパイダーマンなどコスプレも多数w(スパーダーマンはゴール前でギリギリ交わして勝ったが、バットマンは影も踏めないくらい速かったw)
私のペースは前半ゆっくりしすぎて、後半余った分スパートの46分39秒 年代別136人中47位 総合299人中 98位 
ゴール後、すぐ娘達に「パパ!早くスタート地点に行くよ!!」と急かされ、急いでゼッケンを替えてスタート地点へw
かみさんにビデオカメラを渡され伴走兼撮影班、ドキュメンタリー撮影開始ww
3~400人がスタートを待つ中、緊張しまくりの長女とポカンとしている次女w長女は少し前の位置から、次女と私は遠慮して真ん中より後くらいに陣取る。
スタート、長女の姿が見えなくなる、次女と他の選手にぶつからないようにバラけるのを待ちながらゆっくり走り出した。
さて、次女にカメラを向けながらスタート地点から少し行った緩やかな登りコースを周囲を見渡しながら走る、次女ペースが分からないのでとりあえず次女に合わせるのだが、次女も自分のペースが分からないのかパパに合わせるもんだから2人して速くなったり遅くなったり、次女を先に行かせようと私が歩くと次女もそれを見て歩くw
「パパがお前に合わせるからお前は前を向いて自分のペースで走っていいよ」 と説明してやっと ピョコタンピョコタン前に出る次女、しかし走り方がなんというか前に進むと言うよりは上に跳ねるようなフォーム・・・
「パパがお前に合わせるからお前は前を向いて自分のペースで走っていいよ」というお父さんの台詞は各所から聞こえてきた、お父さん乙であります・・・あ おかあさんもw
さて折り返し前に先に折り返してきた長女とすれ違う、次女もやっと折り返しで下りに入る。
ハァハァ言いはじめた次女にカメラを向け「さあ、I原リリア少し疲れてきたか!?」と実況すると いきなりペースを上げ走り出したw
そのペースに乗って行けるとこまで行ってやろうとパパもペースを上げる。
しかし驚いた事にペースが落ちずにゴボウ抜きしながらゴールへ向かう、ゴール前さらに苦しそうにハァハアいい始めたが 皆に「頑張れあと少し!!」と応援してもらい何とかそのままゴール。
12分42秒 115組中58位(たしか?) 長女は11分台で先にゴール。
初めて娘達とマラソンに出てみて、色々な娘達の一面が見えて楽しかった、ただ次女のピョコタン走法は治してやらないとなぁ・・・・

大会関係者の方々、ボランティアの方々お疲れ様でした。
庄内デュアスロン戦記2012

久しぶりの更新です。

4分7秒、腕時計でタイムを確認して驚いた、強風の中スタートしたデュアスロン、第一ランの1km地点であります。
狙ったペースは4分20秒、それほど力んだつもりはなかったのだが、やはり周りのペースに引っ張られたか・・・
デュアスロンは5kmラン、30kmバイク、5kmランの順番で行なう競技です。
トライアスロンの1.5kmスイム、40kmバイク、10kmランよりは距離的に短く、楽に思われるかもしれないが これが実は逆で常にギリギリのペースを維持する過酷なレース。
少しペースを落とそう と確認した2km地点は4分30秒・・・あわわ 落としすぎたw 2.5kmを2周するラン。
今回デュアスロンは6回目、しかし全くなれないスタートのペース配分w
しかし塾内6連覇がかかる負けられないこのレース。
現在トップは予定通りK平、後姿が見えないくらい差が付いた、それを追う私、シゲ、K司。
2.5km地点で後から声がする「うわっ2周かよこのコースwペース上げすぎたw」「俺もっス」とK司とシゲの声。
振り返って返事をする余裕は無いが、ピッタリくっ付かれているのは確認した。
3km地点あたりでシゲが前に出た、それを1度4km辺りで抜かし返すも再度抜かし返されトランジッションへ。

ヘルメットを被りバイクシューズに履き替え、いざライド! シゲとは2.3秒差。 
5kmのコースを6周するバイク、シゲと2人 K平の背中を追いかける(ドラフティングはしてませんw)タイム差は3分ほどか?
塾内で勝つにはK平はバイクで差をつけないと第二ランで差し返される、それは隣にいるシゲも同じはずw

バイク2周目、同じチームジャージに後から一気に追い越される リレー参加のT也だった、あまりに圧倒的な速さΣ(・口・)
「こんニャローーー!!!」と後姿に咆えてみたが負け犬乙w シゲに「(T也さん追っかけて)行きますか?」と聞かれるが「それは無理だろww」とまた2人旅。
3周目、K平がなかなか落ちてこない、すれ違った時のK平の笑顔で「あの野郎 なかなか落ちてこねぇなw」「なんかやばくないっすかw?」と少し動揺する分かりやすい2人w
4周目、やっとシゲを競り落とし やっとK平の背中が見えてきた、5周目に入る前にK平を差しきる 抜かしざま「バイバイキーンー(とかなんとか言ったと思う ちょっと覚えてない)!」「チキショー!!!」と悔しがるK平の声を後に聞きながらぺースを上げる。
やっと塾内トップに躍り出た、後は第二ランで追い上げてくる奴らにセーフティーリードを広げるだけだ。

5周目、現在2番手に上がったシゲには2分、K平に3分、Y也にも3分位はリードしておきたい。
6周目、シゲのすれ違う位置が5周目と変わらない、差が広がっていないのはシゲがペースを上げたのか、私のペースが落ちたのか?w
K平の差は広がったか?Y也は・・・ああぁ辛くなってきてそれどころではなくなってきた・・・・ 
それでも、容赦なく第二ランが始まる トランジッションで娘の応援している声に頷きながら辛い時間の始まり。
バイク後のランは、それまでのスピード感がなくなり、心拍が一気に上がる。
今回も、やはり脹脛労働組合が強行にストライキの構え・・・ヤバイ、もう攣りそうだw
1周目の折り返し、すれ違うシゲが私とハイタッチしながらこちらとの差を確認しているのが分かる、 も ら ッ た な ! と言わんばかりの表情だ、 こちらは逆に や ら れ た な の表情w
2km地点で後から足音が迫ってきた、これでもかの ド ヤ 顔 で追い越していくハゲ いやシゲの背中を見送りながら塾内6連覇の目標が遠ざかっていくのを痛感┗┃ ̄□ ̄;┃┓ ガーン!! これから抜かし返す根性と体力がないですタイ・・・おやっさん 燃え尽きたぜぇw
結局このままシゲに差を広げられ塾内2位でゴール。

塾内順位は シゲ、私、K平、Y也、W部さん、サイボーグ、K司、Y、Y樹、塾長、F谷の順・・・・おーい塾長なにやってんだwww
強風で寒い中のレースでしたが、皆で出るとやっぱり楽しいヽ(´▽`)/へへっ
タイム総合 1時間37分54秒 総合42/126位 第一ラン0:21:56 57位 バイク0:50:40 12位 通過順位23位 0:25:18 79位
大会関係者の方々、ボランティアの方々お疲れ様でした。

サイクルパーティー戦記2012

私はトライアスロンの競技の中でバイクが一番好きです。
で スイムが一番嫌いです、なぜって? 自分の成績の中で バイクが速くてスイムが一番遅い からです。
正直スイムなんか イカの塩辛の次くらいに嫌いです。
じゃ トライアスロンじゃなくてデュアスロンとかバイクレースに出ればいい? と言われるかもしれません。
しかし答えは N O です。
何故って 私は トライアスリート だからです(`・ω・´)キリッ

さて、意味不明な自分語りはこの辺にして、この間行なわれた バイクレース の戦記です。


大潟村ソーラースポーツライン、一周約31kmの平坦コース(今回の大会は区切って15kmのコース)、コースの幅は片側 車道の2車線分とかなり広く、当然一般の車が通る心配も無いレースには最高のコースである。
今回参加してきた サイクルパーティin 大潟 は3人一組(1人、2人の参加も可)で3時間耐久レース。
3時間耐久レースとは、3人で交代しながら3時間で1周15kmのコースを何周出来るか?とそのタイムで競う大会です。(3時間きると新たな周回には入れず、それが最終周となる)
ロードレースとトライアスロンのバイクパートとの大きな違いは ロードレースの醍醐味ともいえる集団走行です。
トライアスロンの場合ドラフティングと言って他の選手の後ろで走るのは反則になりペナルティを課せられます、そして集団走行は風の抵抗が少なくなる為、単独走行より びっくりする位走るのが楽です。

で 今回、我がTEAM漢塾から私、Y也 OGの三人でチームを編成し、漢塾能代支部長のW部さんは友人と二名で参加w


去年、サイボーグ、TK、私で挑んだこのレースはアンカーの私までトップ集団に残り、最後5人でのゴールスプリントに私が敗れたため 5位と言う悔しい結果に終わった。
今回の参加チームは64チーム(個人、DNS含む)だが、夏油で行なわれるヒルクライム大会と日程が重なり そちらに去年の上位チームや有力選手の多くは参加した為、元々ハイレベルな大会ではないが更に手薄な印象。
と いうことは  とうとう勝てるか? あの憧れの優勝バイクジャージを着れるのか?そうなのか?!・・・・・・・・しかし 参加者名簿の中に 去年の優勝チームが ガ━━∑(´・ω・|||)━━ン
さーて 優勝はないなっとw
で、作戦は第一走者OGが先頭集団に入りなんとか3周する、状況しだいで2周に変更。第二走者のY也が先頭集団なら3周、もしくは単独走行で2~3周、アンカーの私は状況しだい2~3周、トータル8周する予定。
アンカーの私に先頭集団、もしくは1桁の順位で来てくれれば優勝は無理でも入賞(3位まで)は狙える。
そんな事を目論んでいたせいかスタートが近くなると変に緊張してきたΣ((((lll゚Д゚)  はい、スタートから私の出番は2時間後位ですw
微妙に会場到着してから緊張しているY也も似たような理由だろうw
そんな中、全く緊張した感じがなく「さーて行ってくっかぁ」とのんびりした感じの第一走者OGに「早く行ってスタート位置を前にしろ、最初は無理してでも先頭集団に喰らいつけ」と耳元で囁く。


何とか中央最前列に位置取りスタートを待つOG。
今回負けたくないライバルチームはBちゃん、K、シゲのイケメンズw
命名は自分たちらしいwアンカーのシゲは私が今年からトライアスロン引っ張り込んだ大阪出身の24歳。
こいつらには負けられんw
そして10:30にスタート!
なんとか前の方でスタートしていったが、後は1周約25分待ってるしかないw
Y也が「先頭の選手があのままペース上げて逃げるって事は無いですよねぇ・・?」
と不安そう。毎年の事だが、スタートは迫力があり皆 速そうに見えるw


さて、後は微妙に緊張しながら待つしかないw

付いてきた応援団の娘2匹はパパの緊張なんか関係なしw

1周目終了時、先頭に2名飛び出した選手をおいて、先頭集団が差もなく追走。
集団の中に 居ました 我がチームOG!応援に片手を上げて答える余裕を見せ颯爽と2周目に突入 タイムから行くと平均39km/h 先頭集団は20名ほどだろうか、Bちゃんも順調に集団に居る。
このまま行ってくれ、と願いつつ 後はやっぱり待ってるだけw
2周目終了時、逃げの選手は集団に吸収されて集団走行、OGに「いけるかぁー!?(3周目)」と聞くと「いくっ!!」と余裕の返事w
Y也と「順調順調!あいつ余裕だw」と喜び合うv(`皿´)ノ~'' ヤッター!!
3周目終了時、Bちゃんが先頭集団から脱落したとの情報がはいる、シゲは気楽になったのかニヤニヤしているw。Y也がピット前に交代準備をしながら陣取る、私はバトン代わりのヘルメットキャップをOGからY也に素早く被せ、スタートするY也の背中を走って押す準備w
「あーきたきた・・・・・」「・・・・あれ? いますか?OGさん・・・・」 「居るだろw い いるか?」「・・・あーーいないっすねぇ・・・」Σ(°д°lll) ガーン
OGは残り5km地点で足が攣ったらしい・・・
1分半ほど遅れてOG交代、Y也に「お前2周でいいから全開で言って来い!」と言って背中を押し出す。
悔しがるOGを横に再度 私の緊張開始w
4周目終了時、Y也は同じ地元のチームの選手と2人で協力しながら走っている、先頭集団が5.6人に減ったようだ。
5周目終了時、やっと私の出番だ、走り始めてしまえば緊張は自然と解ける、OGと二人交代の準備をしながらピット前へ。 Y也がゲートをくぐってこちらに来るのが見える。
しかしY也、何を思ったかピットに入ってこない!「Y也!!こっち!!」とOGと二人声を張り上げる。 Y也がピット前を走りぬけながら「F明さん!2(周)で!」   おおおおおいおいおいおい!!Σ(゚□゚(゚□゚*)ナニーッ!!
「だー俺の緊張した時間を返せ!!」 むぅ Y也の頑張り屋さんめ 後で月に変わってお仕置きしてやるw
また待つしかないですw
6週目終了時、いい加減 緊張しなくなっていたんでリラックスしてY也を待つ。
先頭集団が崩壊し、周回遅れが発生している為、自分達が何位なのか全く分からず・・・
息を切らして戻ってきたY也からOGが手早くヘルメットキャップを私に被せる、そのOGに背中を押され いざ!私の玉砕ライド開始w
先ほどまでY也と協力しながら走っていた選手ともう一人の同周回の選手が2人で協力体制に入ったようだ、交代時の遅れを取り戻し一気に二人を抜き去る、このときの速度53km/h 脳内で「うおおおおおおぉぉぉぉ!!!!!!」とテンションが上がりすぎていた、このときのテンションは日本人が金メダルを取った時の松岡修造のテンションに匹敵w
いきなりオーバーペースになってしまったが、2周でいいならこのまま行ってしまおう と開き直るが折り返し後の向い風に心が折れるOrz
45km/hで走っていたペースが34km/hくらいまで落ちる・・・我慢のみちのく一人旅開始w
7周目終了時、やっとまた追い風に乗れる。ここぞとばかりにペースを上げ最終周に突入。
とにかく見つけた選手を追いかけ抜くの繰り返し、一気に抜かないと同周回の選手に喰らい付かれる可能性がある、幸い喰らい付こうとしてくる選手は居ないが一体今何位なんだ?
折り返し付近、トップの選手とすれ違う やはり去年の優勝チームだ・・・
ふっふっふ 分かったぜ もう追いつけない差だということがwww
こうなれば やはり2.3位狙い といってもやる事は同じですがw
とにかく見えた選手を目標にし抜くの繰り返し、残り2km 背中が見えた選手を勝手に あれが3位の選手だ! と脳内で決め付けラストスパート その選手を追い越し 勢いそのままに仲間の待つゴールへ。
「おやっさん 燃え尽きたぜぇw」 バイクの距離が半分になった酒田大会の鬱憤もぶつけてやったわい・・・
で ふらふらしながらピットへ その場にバイクを寝かせて座り込むと 見留さんに「多分2位だぞ」と言われ 歓喜w
その後 いつの間にかシゲが怒涛の追い込みで3位入賞w よかったこいつらに負けなくてw




1位のチームにはまた敵わなかったけど、チームで出るとやっぱり楽しいであります。
大会関係者の方々お疲れ様でした。
2012おしんレース戦記

頭がクラクラする、体もフラフラしている・・・これはレースでスイム1.5kmを上がった時のいつもの症状である、したがって正常な状態と言えるw
スポンサーの幟が全て横に倒れかけているのは視界がフラフラしているせいではないらしい、タイム表示は40分になろうとしているところだった。
やっと嫌いなスイムをクタクタになりながら上がり、先に行ったチームメイトの連中にバイクでの逆襲することに心を躍らせている私の耳に入ってきたマイクのアナウンスの声は残酷なものだった・・・「強風の為バイク20kmに短縮です!」
風がスタート前よりかなり強くなっていた、砂浜を少し先にスイムアップした遠藤の後姿を追いフラフラしながらトランジッションに向かう。
途中「もうバイク半分ならリタイヤでもいい・・」などとも考えたが、距離が短いなら短いなりにタイムアタックする事になんとか頭を切り替える。
トランジッションで勇樹が先に準備していた、私に低レベルのタイマンスイム勝負を挑んできた奴の「(お前に)勝ったぜ!w」とこちらに向かって見せたドヤ顔も勝者ものとは思えないくたびれっぷりw
スイムアップは正式記録で40:36 334人中256位 今までいくらスイムが苦手でも40分以上掛かったのは今回が初めてである。
さて、いつものように玉砕ライドに出発。
追い風のせいか距離が短い分焦って漕いだせいか?出だしの直線でのスピードは56/km
「む  速過ぎるか?これ とばし過ぎか?」と脳内で自問自答を繰り返す 相変わらず自分のペース配分が分からないバイク歴11年目の私に何でも聞いてくれたまえw
轍が水溜りになっている為 避けて走る、他の選手も当然そうするわけだから雨のレースコースは狭い、追い越すためには一度水溜りを跨いで最内から追い越すことになるから当然ロスが多い。



バイク一本槍で勝負する私にとって、この雨と距離短縮は致命的だった・・・・
完全に先頭を走る悠也や皓平達は捕まえる事が出来ないだろう。
いや 塾杯は無理でも、たいした練習してないライバルの塾長くらいはやっつけておきたい。
しかし、3周回のコースで塾長とすれ違うたびに確認する差は縮んでいるものの、背中が見える距離にはならない。
2周目やっと健司を捕らえる 「いやーお待たせお待たせw」 と奴の闘争心を煽りながら一気に追い越す、後ろから「あっチキショー!」と健司の雄叫びが聞こえるw
口を開けていれば給水する必要がない天気の中、最終周全力で漕ぐも塾長の背中は見えず、前にいた渡部さんをバイクフィニッシュ前に捕らえたのみ。
おやっさん・・もう俺は真っ白だぜ・・・Orz
公式タイムは38:29 334人中41位・・・密かに今年も10番以内を狙っていただけに悔しい結果。
さて、風雨が吹き荒れる中 ラン開始。
バイクの距離が半分だったせいか、いつも1km地点までに行動を開始する 脹脛労働組合のストライキ が始まらない。
足が攣る気配がないのはありがたいが、それは周りの選手も同じ事w いつもの通り我慢の時間が始まる。
すれ違う中に 遥々静岡から参戦した漢 コデチン に声を掛けられる、昨日片道10時間の行程をしてきたこの漢は疲れを全く感じさせない走りだった。
レース後、彼と一緒に写真を撮れなかったことが今回一番悔しいw
途中、何となく給水所で飲んだスポンジの水でわき腹が痛くなる、「やっぱ今日は無理して給水しなくてもよかったんだな・・・・」と脳内で呟くも後の祭りw
最後の折り返しを少し過ぎて 今回2レース目の渡部さんに抜き返される(°◇°;) ゲッ
や やるじゃないのw
後はメンバーや知り合いの選手達とすれ違うたびに声を掛け合ってゴールへ向かう、そして恒例の子供達と手を繋いでのゴール・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・∑(=゚ω゚=;) 家族は誰も待ってませんが・・・・w( ゚д゚)ァラヤダ
え?いいの ?ゴールしていいの? キョロキョロしながらゴールへw
公式タイム 49:01 334人中162位 総合160位
順位的には去年辺りから比べるとかなり悪くなってしまったし、とっても不完全燃焼な感じのレースでしたが、まあ こんな事もあったなと後々いい思い出になるだろうw
そしてレースはクライマックスの4種目めに突入するのであったww

大会関係者、ボランティア、応援団の皆さんお疲れ様でした。

塾内順位は 1.悠也 2.皓平 3.塾長 4.渡部さん 5.私 6.健司 7.しげ 8.遠藤 9.昭さん 10.勇樹 11. 小笠原 12.優 の順。
今年も1.2フィニッシュの富樫兄弟が今年の塾杯総合争いに一歩リードか?
ま 次でやっつけてやるけどなw
夫婦間のクリスマスプレゼント

本日、会社は休みですが仕事であります。
午前中は自分の部署の人たちが仕事してましたが今は留守番みたいなモンです。
私の机から見える現在の風景w ええ 暇であります。


さて、子供達のクリスマスプレゼントの目処がついたんで、午前中 仕事していた部署の人達との話題 「夫婦でクリスマスプレゼントのやり取りはあるか?」について。
女性4名 20代 30代 40代 50代とも 「NO」の回答。
意外に無いんだ・・・で 以下会話  
50代「係長はプレゼントするのか?」
私「今年はスイートテンプレゼントして金ないし どうすっかな・・・・」
40代「は?スイートテン?なにそれ ダイヤ?貰った事ないわw」 
あれ スイートテンも意外にプレゼントしないモンなの?  あれ?無理して買わなくても良かったのでは・・・ 
50代「えー係長あげたの?へぇ 意外だぁー 私もそんな旦那捕まえるんだったw」
30代「いや 係長が優しいんじゃなくて、奥さんがマインドコントロールが上手いんだ きっとw」とか言われる始末・・
20代「やっぱ愛情でしょ? それは愛情があるからでしょ?」(ご機嫌取りも世間様では 愛情の一つだ と言うならばそうだがw)
30代「旦那になんか愛情なんかないよw」
50代「あーないないw」
40代「ないよねぇwないでしょ?」
20代「なっ ないよwうん ない・・・」20代だけは少し良心が咎めるような表情をしていたが30~50代は 「正月は雑煮を食うもんだ」ってくらい当たり前の表情をしていたw
嗚呼 とっても聞きたくない世の中の奥さん方の本音を聞いてしまったのかしら・・・orz 
そんなもんなのか・・クリスマスプレゼントは2.30代くらいならやり取りがあるのかと思っていたが。
ま まあ 彼女らなりに他の愛情表現の仕方があるんだろう きっとw
しかし かみさんの マインドコントロールといえば数年前の12月の始め・・・
「あーこのキーケース壊れちゃったなぁ・・」と かみさんから独身の頃買った と思われる ヴィトン のキーケースが壊れた事をさり気なくアピールされる。
今思えば、あの時期に壊れたってのはタイミングが良すぎるようなw
で 「それでは・・・」 素直な旦那さんは、かみさんに内緒でヴィトンのキーケースをネットで探し クリスマスにプレゼントした。
「わぁーありがとう!丁度欲しかったんだぁ!」 と喜ぶ かみさん。
私「あー でもネットで買ったから偽物かもなw」と 保証書つきで一番信用できそうなショップから買ったくせに、ちょっと照れ隠しの一言。
そしてその後、かみさんから信じられない一言が  「大丈夫 大丈夫!
 この間壊れたのも  偽  物  だったからw

━━━━━━Σヾ(゚Д゚)ノ━━━━━━ !!!!

諸葛亮孔明もビックリだよwつーか こっちは全然 大丈夫じゃねぇwwww

古来よりの漢達の間で言い伝えられる ことわざ。
海老で鯛を釣る と同意義 
偽物で本物を得よ 
出典 民明書房漢 漢の暮らし方の章 第二項「だました方よりだまされる方を罰せよ」より

「まっ マインドコントロールされてあげてるんだからね!」
今年の任務

ぼちぼち全国、いや全世界のサンタさんがミッションを開始する季節になりました。
さて、今年はどうしようか? と かみさんに相談するもイマイチ話がまとまらず・・いや第一希望のDSだけは却下というのだけはまとまったw
却下の理由「①高い ②喧嘩になる」人数分はとても買えないし、1.2個だけだと絶対に喧嘩になる のが目に見えている。
で 「子供の希望にそったもので、尚且つ散らからない物で、更に予算以内」 の物を物色中。
長女は「えーサンタさんは値段が高いとか関係ないはずじゃん!」と言っているあたり 「サンタクロースはパパとママだ」というのが疑問から確信に変わってきているようですw
ま それの方がほしい物を聞きやすいんですがね で 第二希望は「ジュエルポッ○」 だそうです。
パパサンタがAMAZONで ポチル のは、なるべく急がねばならないw 全世界のパパ、ママサンタ乙であります。
ある子供がサンタが来たらビールを飲んでもらおうとクリスマスツリーの下に瓶ビール2本置いておいたら、夕方空になったビール瓶とプレゼントが置いてあった。
そしてその子は大喜びして「サンタがビール飲んでったよ!」とプレゼント片手にワッショイワッショイw
「あれ?サンタはお酒飲んでトナカイのそり運転するの?大丈夫なの? え?寒さしのぎにトナカイがビール飲んでるの?だから鼻が赤いんだねw」 と母親の説明に妙に納得して盛り上がってたその子。
その子も30年後の今、3児のパパサンタの任務を遂行しているw
つーか 今思うとサンタがビール飲むより、トナカイが飲む方が色々危ないような気がするんだが・・・・
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プロフィール

HN:
局長
年齢:
49
性別:
男性
誕生日:
1974/09/30
職業:
会社員
趣味:
トライアスロン
自己紹介:
趣味の範囲でトライアスロンしながら普通に子育て 天秤座の凡人 酔拳初段
その他